武道格言 or Quote of the day
2010
You cannot teach a man anything; you can only help him find it within himself. –Galileo Galilei (1564-1642)
力まない方法 How To Not Strain Your Muscles
2010
Kobayashi
- Relax your shoulders.
- Your feet, hip, shoulders, arms and hands are all move together.
Do the proper Tenkan and deep Irimi to be on the correct spot to the techniques. - You make sure to lower your center with each movement.
Breathe while you move! - Stand straight!
- Lastly, smile while you are practicing!
誰でも、稽古中ついつい力んでしまう事があると思う。
先生、先輩は「リキむな!」と口うるさく言う。
でも、そう簡単には出来ないし、何が原因なのか中々分からない。
それでは、次にリキみ解決方をあげていこう。
一番分かり易いのは、肩の力を抜く。肩が上がるのは、誰もが一番最初に身に付ける悪い癖。
次は、息をする。当たり前の事だが、皆技をする時、正確には身体が動く時に無意識に息を止めて踏ん張って呼吸してない。
だから動きながら呼吸をする、だから呼吸力が出て来る。
其の次は、足、腰、肩、腕、手が一帯になって動くのが大事。
肩と腰の動きがバラバラになっていると、足捌きがドタドタと成って、いい加減な転換方や開転方になって間違った足の位置になったり、それと手の位置と動きも正しくないと、どうしても筋力で動かす事になる。
これは、足捌きをスッスッとすり足で動き、手も自然に動く方向に持っていく事で良くなる。
それと、要所要所で腰を落として重心を低くし、そして自分の中心線を保っているかも大事。
次は、姿勢をしっかり背中を伸ばして立っているか。
そして、最後は、笑顔で楽しく稽古していますか?
The Aikido Code 合気道不文律
2010
Kobayashi
In Aikido we don’t have rules like other martial arts do have.
Instead, we have a code. It is an unwritten code called the “Aikido code”
In Aikido training we don’t harm our partner.
There is no written rule nor someone to tell you not to do these things; that’s because it’s the Aikido code.
It is an unwritten code that a mature person uses common sense to follow.
Since we don’t have rules to prohibit harmful actions, both Tori and Uke could do whatever they want in Aikido. We don’t do harmful actions because we are mature people using common sense who not to do that.
Another Aikido code is Tori and Uke agree to do the techniques or not.
For instance, Uke resists Tori only when both agree to do so, otherwise resisting Tori without prior agreement is a very provocative action.
In this case and since there is no written prohibiting rules, Uke must face the consequence of his provocative action against Tori – “Bring it on!!” Do whatever it takes to do the technique because there is no rule to not harm your partner.
That is not ideal Aikido practice; it is a fight, and if you want to fight you are in the wrong place.
We have a code: Uke does not disturb Tori’s techniques; Tori does not disturb Uke’s ukemi.
However, if they are in prior agreement to do resistive training, that’s in the code as well for what they are trying to achieve.
“A code: we are all living with a code of the universe… whatever it is.” by TK
知ってのとおり、合気道には、他の武術の様なルールという物が無い。
他の武術ではしても良い事とそうでない事が明確にルールブックに示されている。
一般にルールは2種類ある。
一つは、安全の為ともう一つは、技や動きの規定を設ける事でそれぞれの武術の都合の良い様に試合を行う為。
其のルールを破れば程度によりそれなりの罰則を受ける。
処が、合気道には、そういった明確に文書で示されたルールが無い。
いくら試合が無いからと言っても、合気道は武道なので危険がいつも伴うにもかかわらずである。
翁先生が作った合気道規範には、技や攻撃などの禁止行為などは一切示されていない。
受けの攻撃の指定すら、未だに公式にはされていなのである。
唯、皆がこうして来たから、今こうするはずと皆がいわば暗黙の了解で決めてやっているのである。
だからと言って何をしても良い訳ではなく、我々が常識を持って危険な行為を行わないだけである。
それは、暗黙の了解であり不文律と言う、それは合気道不文律と言う。
合気道不文律は、取りと受けがお互いに決めた暗黙の了解で技を行う事である。
それは、受けは、取りの技を邪魔せず素直に行えるように、取りは受けの受身を邪魔しない事ある。
処が、受けが勝手に取りに対して抵抗すればそれは不文律が破られた事になり、受けは其の挑発的行為の報復を受けるという事である。
そして、ルールでの禁止行為が無い以上取りは「そっちがその気ならば、こっちは怪我に関係無く、いかなる手段ででも技を掛けてやる!」となっても受けは自分から蒔いた種なので怪我をすればそれは受け側の落ち度である。
それは、もう合気道の稽古では無く、喧嘩である、喧嘩がしたいのなら、合気道道場は場違いである。
時として、お互いが了解して抵抗しあっての稽古は、お互いが何かを求めてしているのであってそれはそれで良い。それも亦、合気道稽古の不文律だ。
不文律を守るには、規律と常識が必要だ。
その規律と常識を持った立派な人格の人、亦はそうなりたい人にこそ合気道はふさわしい武道だ。
Thanks Eric D for help.
AIKIDO general practice regulations by O-sensei
2010
Kobayashi
- AIKIDO decides life and death in a single strike, so students must carefully follow the instructor’s teaching and not competes to see who is the strongest.
- AIKIDO is the way teaches that how one can deal with several enemies.
Student must train themselves to be alert not just to the front but to all sides and the back.
3.Training should always be conducted in a pleasant and joyful atmosphere.
4.The instructor teaches only one small aspect of the art.
a.Its versatile applications must be discovered by each student through incessant.
b. Practice and training.
5. In daily practice first begin by moving your body and then progress to more intensive practice.
Never force anything unnaturally or unreasonably.
If this rule is followed, then even elderly people will not hurt themselves and they can train in a joyful atmosphere.
6. The purpose of AIKIDO is to train mind and body to produce sincere, earnest people.
Since all the techniques are to be transmitted person-to-person, do not randomly revel them to others, for this might lead to their being use by hoodlums.
武道格言 & Aikido quote for the day
2010
Kobayashi
Variety takes away satiety.
選択肢が沢山あれば、飽き飽きすることもない。
究極の取り
2010
Kobayashi
究極の投げ(取り)とは、相手の状態や状況と相手の怪我を気にしする事なく思う存分に技を掛ける事。
問題は、受け側が激しいどんな技からでも怪我をしない受身が取れなければ、取りが思いっきり投げることもままならない事である。
取りが、いつまでも遠慮し続けて稽古をしていくと有段者に成ってからの上達はとても無理だろう。
上級者、有段者は、一つの技の多彩な入り方や可能性を追求そして研究して行く過程で、受けの状態を気にしない技の掛けかたも学ばなければならない。
なので、究極の取りになる為には、当然先ず自分が究極の受けにならなければならない。
技の良い悪いは、ある程度は受けの良い悪いで決まると思う。
唯、経験豊富な師範なら、受けの良い悪い関係ないと思うし、そうあるべきだ。
究極の受け
2010
Kobayashi
究極の受け身とは、取りの情け容赦のない技から、怪我一つしないで立ち上がれる事。
相手の技の方向に合わせて同じタイミングで絶妙に怪我を回避する様に動く高度なスキルが必要とされる。
よく、演武等で受けが取りに合わせて受身を取っているのを「ワザと受け身を取っているやらせ」と批判するのを聞く。
確かに見た目は、受けが勝手受けしている様に見えるのでそういう批判をするのでしょう。
でもそれは、取りの情け容赦ない技から怪我無く立ち上がる為の高度はスキルである。
亦、受けの重要な役目には、取りの動きに的確にすばやく反応し、完璧なタイミングと位置にいかなる状態でも常にいて、取りが無理すること無く技が掛けられる様に導いてやらなければならない、そして適度に抵抗して相手の間違った動き等を気づかせる事もしなければならない。
固い稽古では、強く握る事で取りにリラックスする事を気付かさせるや正しい隙の無い的確な間合いからの攻撃をするのも良い受けの条件でもあり受けの良い悪いで技の見栄えも変わってくる。
自分が受けの時は、常に技の少し前の状態を見越して相手と一緒に動く事に務めている。
そうすると、取りは、無理なく動きやすくなって技がスムーズに出来る様になり受けが返し技をしやすくなるという利点と意味もある。
問題なのは、受けが取りに対してスムーズな動きをさせる様にしているのにそれを理解せずそれでもまだロボットの様にカクカクドタドタと動き、尚且つ余計な当身を入れて得意がっている取り連中だ。
こっちは、取りの技の技量向上の為に態々受けを取ってやっているのに、余計な当身を入れるのか、それとも技をするのかをわきまえないで稽古をしているのである。
当身を入れてしまえばもう技をする意味が無い、相手が当身で来るれば、こっちも当身を入れ放題な訳でそうなるともう殴り合いの稽古であって、もう合気道技の稽古にならない。
合気道の真髄は、お互いに相手が動きを合わせる事であって殴り合いの稽古ではない、当身はあくまでもスキを作って技を行う手段であって、当身を入れて技が出来なくなったり、受けは取りが技を掛けやすい様に的確な位置に動いているのに、当身を入れられて受身を取れなくなっててしまったら、それは合気道の稽古ではないと思う。
大体が合気道は型稽古なので、当身を入れる隙だらけなのは当然であって、当身を何時何処に入れてスキを作って技を掛るという事は知ってて損は無いが合気道の本質である相手に合わせる方が大事であるし、それよりも技を練ったり、技の意味と理合等の探究や技量の向上に目を向ける方が為になると思う。
受けの意味と役割 ③ (Breakfall or 飛び受身)
2010
Kobayashi
先ず初めに合気道の立場からみてBreakfall と飛び受身(飛翔受身)は、ニュアンス的にちょっと違うと思う。
でも、飛び受身を英訳するとどうしてもBreakfallになってしまう。
Breakfallは、どちらかと言うと、墜落の衝撃を和らげる方法、つまりfall(墜落)をBreakするだけの様な感じの柔道的な受身の方法である。
然し、合気道においての飛び受身とは、fall(墜落)をBreakするだけでない柔道とは決定的に違う目的と意味がある。
それには、先ず柔道受身と合気道受身の根本的な目的の違いを理解しないといけない。
柔道受身は、技の終わり即ち試合の終わりに行い、しかも、それは受身を取った方が負けた事を意味する。
なので、投げられる方(合気道の受けのあたる方)が投げられない様に踏ん張って耐えて、限界がきて耐え切れずに急激な勢いで激しく畳に叩き付けられるのが柔道のBreakfallである。
だから世界中の柔道界では、受身を取る事は負けを意味するので、皆技だけの練習で受身の練習をあまりしないというとても危険な事をやっていると聞いた。
そもそも、受身の意味は、自分の身を守るのを目的としているのに、試合の勝敗の為に身の安全を犠牲にしているのはとてもおかしい事だ。
元々の「柔良く剛を制す」の柔道は、今や勝つか怪我かのスポーツマンシップとはかけ離れた物になってしまった。
合気道の受身の場合は、技の終わりではなく、次の攻撃の為に安全に技を受ける技術であり、亦は、返し技を掛ける準備で受けの方が自分から飛んで行うという決定的な違いがある。
なので、受けの方(投げられる方)から自分で飛んで落下に備え安全に柔らかく受身を取るのが合気道の飛び受身だ。
おれはちょうど、階段で最後の段を知らないで踏み出して、ガクッと体に衝撃が伝わって痛い経験いをするのと、最後の段を知ってて踏んで体には痛みが無い場合と似ている。
前者は、身心ともに衝撃に備えていないのと後者はやってくる衝撃に対して心身ともに備えている場合である。
なので、柔道受身はバーン!と激しく痛みが大きく合気道受身はフワッ!柔らかく痛みが最小限の受身はずである。
唯、最近は演武会等では、取り受けと分かれてやっているので、本来の合気道(柔術)の受身の目的を必要としないのでそれを知る人が少ない。
そもそも、古流柔術で技によっては、受身が返し技の始まりでもある。
そして、そもそもの受身の目的が違うので、着地方法も合気道と柔道とでは違う。
柔道受身の目的は、唯の安全な着地なので手と身体が同時に畳に付いて、下に来る足は伸ばして衝撃を吸収する着地をする。
だが、合気道本来の受身は、手を先に付ける様に身体を空中で丸くし、手>肩>腰>足の順に畳に付いていく様にし、足はすぐに次の動作に移れるように膝を軽く曲げ、しかも身体がリラックスし最小限の衝撃と音で着地するのが、合気道の理想の飛翔受身である。
唯、飛び受身の練習し始めは、慣れるまでに強制的に取りに投げてもらう様にして痛みや衝撃等に対する恐怖心を克服していかなければいけない。
そして其の内相手に合わせて自分から飛ぶ様に技を受ける稽古をする。
そして、返し技を想定した稽古では、受けは常に技の先手の状態で状況をコントロールしていないと、技の後手でやられてる状態だと返し技はおろか安全な技回避も出来ません。
結論、柔道受身は、単純に安全に技を受ける方法で、合気道受身は怪我無く次の動作に移る為の方法という事。
攻撃の三原則
2010
Kobayashi
攻撃の距離
攻撃のタイミング
攻撃の線
この3つの内いずれか一つでも回避すればこの世のいかなる強烈な攻撃からは安全に逃れる事が出来る。
QUALITY not QUANTITY
2010
Kobayashi
合気道稽古において昇段昇級審査とは、各人の目標であり自分の技量を知る良い機会でそれは、その他の武道や格闘技においての試合に相当するほど緊張と不安が伴うのである。
これも、審査を受ける回数が増えると自信と何事にも動じない心を養い、その内あまり緊張してこなくなる。
通常、合気道の場合審査までの道のりは、各段級に応じた必要な稽古日数を経過してからはじめてその段級の審査が受けられる。
唯、これは審査を受けれる必要最低事項であって、稽古日数があるからといって自分がその次の段級に審査に受かる権利や保障ではない。
たとえ、各人が規定の稽古日数を満たしていても、当然実力が伴っていなければ審査に受かる事すら出来ないし、それならたとえ稽古日数があっても実力が付くまで受けない方が本人の為になる。(師範又は審査員は、審査に落ちると解っていながら審査をしないし若しくはしたくない)
亦、才能のある人は、短期間で技を習得してしまい、才能の無い奴は規定の倍以上掛かる場合は、一概に稽古日数だけで審査を受ける時期を各人の実力によって対応して決めていくの事もあって当然である。
なので、稽古日数はあくまでも量あって質(実力)が無ければ稽古期間は、どうでも良いことです。
まぁ、もっとも審査に落ちれば、それもそれで稽古の内ですけどね。
Kobayashi