固い稽古と柔らかい稽古
2010
合気道の稽古法では、一般的に固いと柔らかい稽古というのがある。
どちらが正しい稽古法かは、人それぞれ違うと思うので各自好きな方で稽古すれば良い事にしましょう。
唯、大先生曰く「ワシは60年の固い稽古をやってきたから、今はこうして柔らかくなったんだ。」というのがありますので、やっぱり固い稽古の方が初めに習う基本の稽古でだんだんと何十年と時間を掛けて柔らかくなっていくのでしょう。
では固い柔らかいの稽古の違いとは?
固い稽古では、例えば手首取りで受けががっしり取りの手首を握って(抵抗する)から技をはじめますが、取りが筋力で動かそうとするとなかなか動きません。
受けが固い状態で取りが力んでしまうと技ができませんが、だんだんと取りが余計な筋力を抜いて動ける様になるのがこの固い稽古の目的です。
柔らかい稽古では、受けが抵抗する事なく取りの動きに合わせる稽古方法です。
この両方の大きな違いとは、固い稽古では、受けが固いので、取りの方は柔らかくリラックスしていないと技が上手くかかりません。(此処が重要!!)
相手の力に対して、自分も力んでは力が勝るうちはいいですが、そのうちそれも限界に突き当たります。
ましてや、稽古年数を重ねて高齢になってくるとやっぱり筋力のある若者には、勝てないのは当然で、しかしその時に力まないでリラックス出来れば難なく技が掛かります。
なので、固い稽古の意味は、取り方がリラックスして技が掛けれる様に成る為の稽古方法。
対して、柔らかい稽古方法では、受けが抵抗無く動くので、逆に取りの方に力が入って受けを動かす様になります。(此処重要!!)
この柔らかい稽古方は、足と体裁きや基本動作を知らない初心者には最適です。
それに、合気道の本質である「相手の動きに合わせる」の習得には良いです。
唯、この柔らかい稽古だけをしていると、その内に故意か故意で無くて受けが固いと「動かせない」という事態に陥ります。
何も知らないコチコチの初心者に対しては、「リラックスして。」と諭せますが、これが後輩が自分に対して挑戦して来た場合は、リラックスして難なく動かせなければ先輩としての面目丸潰れになりますので先輩としては、後輩の挑戦は受けて立って返り討ちにしないと尊敬を失いかねません。(合気道は武道ですから)
特に茶帯以上になってくると、後輩はそういう挑戦を随時してきますので武道たる合気道としてしっかり対処しないといけません。
ましてや、指導者たるもの然り、将来指導員や師範に成りたいと考えている人なら尚更、出来るだけ早く「力まずにリラックスする」を習得しないといけません。
指導者になってしまえば、あまり稽古時間が無いので尚更早い時期に「リラックスする」を習得する稽古をした方が良いです。
この固い稽古と柔らかい稽古の結論は、自分が初心者の受けの時には、柔らかい受けを取る。
彼らが体裁き等を覚えて慣れてきて間違いをした時だけその間違いを正す意味で抵抗して正しい事を教える。
自分が取りの時は、時々受けに固くしてもらい、リラックスして力まなく動ける様に稽古をする。(当然、訊かなくてもガッシリ握ってくる後輩がいるが、そういうのは先輩としての面目を保つ為に撃破していかないといけない)
なので、「気の流れの稽古は三段から。」という故斉藤師範の言葉の意味を理解したのです。
いつもながら、何でもっと早く気がつかないかったんだろう?と思う今日この頃、、、、。
先の先、先の後、後の先、後の後
2010
Kobayashi
フェイスブックのディスカッションボードでの「first attacked]を読んだけど、なんか先に攻撃して怪我をさせると後でフリになるとか何とか言っている。
ハッキリ言ってこれは合気道的にみれば大いに間違ってると僕は思う。
大体合気道を使って喧嘩して勝ちたいなら、相手を怪我をさせるのではなく、相手の攻撃を制するのが目的でそれらを想定に稽古しているはずで、だから合気道を数ある武道の中から選んだのではないのでしょうか。
合気道の技は、力のかけ加減と方向で相手を傷つけるか制するかが変わってくるのは毎回の稽古で知ってるはずでしょうに。
だから、相手を傷つける気が無ければ怪我する前に相手を動けない様に喧嘩を止めるだけでしょう。合気道的の考えなら。
それに合気道には、先の先、先の後、後の先、後の後、という4つの攻撃の捌き方がある。
それを上手く理解し、自分の技量や其のときのシチュエーション次第で使い分ければ全て解決できる様に稽古している筈なんですがね。
本当にやるかやられるかの状態で相手がナイフか拳銃を持ってるかも知れないのに、絶対先に動いてはいけないなんていうのはナンセンスでしょう。
要は、先手必勝で相手を先にそれぞれのスタイルで制した方が勝ちでしょう。どう考えても。
喧嘩ですから怪我さえさせなければ、ルール無用で何やっても良い訳だしね。
以下に此処で重要な4つの攻撃の捌き方を紹介します。
先の先とは、受けが動く前に自分から攻撃を仕掛け技を仕掛ける方法。
例えば、受けの攻撃を待たないでそのまま相手の手首を摑んで技をかける方法。
つまり、先に先に技を仕掛ける高度な技術。
先の後とは、受けが動く前に攻撃を仕掛けて、受けが其の攻撃に反応した動きを利用して技を掛ける方法。
例えば、自分が横面打ちを仕掛けて、受けがそれに反応して横面打ちを反してくるか転身ブロックした動きを利用して技を掛ける方法。
つまり、相手を動かす為に先に攻撃を仕掛ける事。
後の先とは、受けに自分のして欲しい攻撃を誘いだしてその攻撃を捌いて技をかかる方法。
これは、剣術の戦法の応用で、例えば自分が上段に構えるて相手の攻撃を誘って、相手が下段を狙って攻撃してきたところで相手の空きの出来たところに切り込むみたいな感じですね。
実際は相手もそれを知っているとそんなに簡単にいきませんが、でもこういった事を想定して、相手を誘いでして攻撃する兵法ですね。
つまり、相手を先に自分の思う様に攻撃させて、その後に自分の有利な方法で捌く事。
後の後とは、受けの攻撃に反応して技を掛ける方法。
と、いまのところ僕は理解しています。
それで、もしも、自分がそういう状況に陥ったら、合気道の技だけにこだわらない柔軟な気持ちで如何なる手段を使ってでも生きて帰る様に心がけるでしょう。
でも合気道には、当身も技もありますから自由自在ですね。
Criticisms
2010
Kobayashi
合気道の数少ない規範に、「人の技を批判しない。」というのがあります。
そんな事をしても何も得られないし、人のアラを探すより自分の技の未熟さを悟ってもっと修行しなさい。という様な意味があります。
要は、人の事は気にしないで自分の技量の向上に励め!って事ですね。
まぁ、人間どうしてもランクが上がって来ると高慢な態度になりがちなので、それを戒める意味もあるのでしょうね。
一に修行、二に修行、三、四無くて五に修行ですね。
受けの意味と役割 其の②
2010
Kobayashi
受けをするのではなく、受けは取るというのです。
まずこの違いを理解してもらわないと、受けの本質は見えてきません。
英語でUKEと言うとき攻撃するという意味でATTACKERと言う人がいますが、それでは正しい受けの説明になってません。
確かに、受けは攻撃をしますが、その後に(前か後)受身をしても受けを取ったとは言いません。
それは、ただ受けをしたけです。
古来、古武道柔術などでは、師範か上級者が受けを取って免許皆伝を与えたと言います。
では何故、他の下級者に受けを取らせないで、そうしたか?
まず、受けの役目は、「やさしく合わせる」と「しっかり強く抵抗する」を相手の技量に合わせて使い分ける。
受けをするとは、ただ相手に任せて引きずられながら受けをすると言う事。(後手)
取るという日本語は色んな意味が有りますが、代表的にこの場合は、自分から受け身を取りにいくという意味です。(先手)
受けをするのは、後手で遅れをとっている訳だから、負けている状態です。
この場合大体が腰の引けた所謂へっぴり腰状態で技を受けています。
例えば、入り身投げでは、受けがこのヘッピリ腰状態だと空きだらけでしかも投げにとっては受けが重く感じて動かしにくい状態です。
この状態で、受けの意味を理解してない輩は、「ふん!ほら見ろどうだい俺は動かしにくくて投げられないだろう、ははは。」と得意がっているのがいます。
実は、この状態は受けにとっては空きだらけで危険な状態なんです。
投げは、受けが動かなければ、力づくか当身を入れてでも動かしてもいいわけです。
受けにしてみればもっと痛い目に遭うわけです。
其の点、先手の受けを取る方は、相手の動きにしっかりと付いていっているので腰の入ったしっかりした状態で受けを自分から取るので投げが気が付いた時には受けには空きが無くそして受けはもう倒れかけているので投げる事しか出来ない状態なのです。
だからこの場合は、受けが一枚上手な状態なのです。
其のとき投げは、受けの重みをまったく感じないで投げているはずです。
受けは、ヒュルっと返って受身を取って次の攻撃に移る準備をする、投げは、相手の動きを追いかけて相手を牽制する、だからお互いに間と残心を取る。
今日は此処まで、残心、、、、、
稽古の意味
2010
Kobayashi
時々、後輩連中から「この技のこのやり方は、難いからこっちのやり方の方が良い。」と言って技の基本形を否定し無視して違うやり方でする人がいます。
其の都度僕は、「難しいから簡単になるまで何回も練習するのが、稽古でしょう。誰でも生まれて直ぐには歩けなかったでしょうに、それこそが稽古をする意味でしょう。」と諭します。
最近よく思うのですが、『この世の物、有形無形関わらず何十年何百年以上も存在しているのは、意味があるからだ。もし本当に無意味な物は、廃れていってるはずだ。我々人類は必要無い物は残していかないはずだ。』と
武道の稽古方も然り、よく型稽古を批判するのを聞きますが、本当に無意味な稽古方だったらとっくに昔に廃れてるはずですが、そうはなってません。
技も然り、其の方法が基本形に成ってるのは、大変深い意味があるからなのです。
合気道を稽古していくと2,3年くらいで頭打ちしますそのときは「技に行き詰ったら、基本に返れと。」言います。どうやら技の基本形には、極意が隠されてるらしい。
だから、技の一番最初に習う基本形を侮ってはいけません。
基本が大事って事ですね。
受けの意味と役割 其の①
2010
Kobayashi
数年前未だ自分が三級の頃に、「先生、受け身って結構どうするか難しいですね。」と稲葉先生に訊きました。
以前僕は、稲葉先生の下4年間働いていましてランチタイムには、雑談や質問をよくしました。
先生は、普段あまり詳しい説明をしてくれませんでした。どちらかというと、そうだね、それもそうかも、とかそれは違うという位しか言わない感じでした。
其の上記の質問ときの先生は珍しくこう答えました、「そうだね、(基本)技の習得は五年くらいで覚えられるけど、受けの習得はそこから十年位掛かるね。」でした。
其のときの僕の感想は、『えっ!? 技の5年からまだ十年!?合計15年!?!?』そんなに待てないから、願わくは、十五年も掛からない様に明日からの課題は、技の習得と受けの意味の探求と決めて色々と調べました。
あれから、数年の歳月が過ぎて、まだまだ完璧では無いですが、最近やっと人に説明できる様になってきました。
これから暇が出来たら此処に綴らせてもらいます。
よろしくお願いします。
Kobayashi